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大阪地方裁判所 昭和36年(ワ)4856号 判決

原告 岸本芳一

右訴訟代理人弁護士 家近満直

右訴訟復代理人弁護士 家近正直

被告 有道樟雄

右訴訟代理人弁護士 大森常太郎

主文

被告は原告に対し、金七万〇三〇〇円を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は主文第一項に限り原告において金二万三〇〇〇円の担保を供するときは仮りに執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

原告が被告に対し、昭和二二年九月一五日、原告所有にかかる別紙目録記載の建物(本件建物)を、賃料は一ヶ月金一〇〇円とし、毎月末日限り原告方へ持参して支払う旨の約定で期間の定めなく賃貸し、以後引続き現在に至るまで右建物を被告に賃貸していること、右建物の賃料はその後度々改定せられ、昭和三三年一〇月以降からは一ヶ月金二六三〇円となつたこと、原告が被告に対し、昭和三六年一一月二八日付内容証明郵便を以て、以後本件建物の賃料を一ヶ月金一万一〇二七円に増額する旨の意思表示をなし、右書面が翌二九日被告に到達したこと、以上の事実についてはいずれも当事者間に争いない。

そこでまず本件建物につき地代家賃統制令の適用があるか否かについて判断する。

一、被告が本件建物を賃借した後引続き現在に至るまで小児科医として本件建物において医業を営み、本件建物の一部を診察室、薬局(調剤室)等の事業用に使用し、その余の部分を自己の居住用に使用していることについては当事者間に争いない。

二、≪証拠省略≫を綜合すると次の事実を認めることができる。すなわち、

(一)  被告は、本件建物を賃借した後昭和三七年五月頃までは少くとも本件建物の階下のうち、次の約一一、五三三坪の部分をその事業用に使用していたこと、

(1)  診察室約三、五八八坪

(別紙第一図面(ル)(レ)(ソ)(ツ)(ネ)(ヌ)(ル)の各点を順次結んだ線内の部分、但し、(ル)(レ)(ソ)(ヌ)の各点はいずれも右各同点のところにある柱の中心点であつて、右(ル)(レ)間は九、九尺、(レ)(ソ)間は一三、〇五尺である。)

(2)  薬局(調剤室)約一、五〇九坪

(別紙第一図面(ツ)(ソ)(ロ)(ハ)(ム)(ラ)(ツ)の各点を順次結んだ線内の部分、但し、右(ツ)(ロ)(ハ)(ラ)の各点はいずれも右各同点のところにある柱の中心点であつて、(ツ)(ラ)間は六、七五尺、(ラ)(ハ)間は八、〇五尺である。)

(3)  待合室及び土間約五、九〇二坪

(別紙図面(リ)(ナ)(ラ)(ム)(ハ)(ニ)(ニ)'(ホ)(ヘ)(ト)(チ)'(チ)(リ)の各点を順次結んだ線内の部分、但し、(リ)(ハ)(ホ)(ト)の各点はいずれも右各同点のところにある柱の中心点であつて、右(リ)(ハ)間は一四、一尺、(リ)(ト)間は一五、〇七尺である。なお、右土間の部分は、待合室、診察室に行くために当然に通らなければならないところであつて、被告の事業用に使用されていたものというべきであり、又別紙第一図面(チ)(ウ)(ニ)(ニ)'(ウ)'(チ)'(チ)の各点を結んだ部分は敷居であるが、右敷居は待合室と土間との間に設けられたものであるから、その構造及び使用状況からみて当然に事業用に使用されていたものというべきである。)

(4)  廊下①約〇、五三四坪

(別紙第一図面(ネ)(ツ)(ラ)(ナ)(ネ)の各点を順次結んだ線内の部分、但し、右(ネ)(ツ)(ラ)(ナ)の各点はいずれも右各同点のところにある柱の中心点であつて、(ネ)(ツ)間は二、八五尺、(ネ)(ナ)間は六、七五尺である。なお右廊下①は待合室から診察室に出入する通路となつていたのであるから、右部分も被告の事業用に使用されていたものというべきである。)

(二)  ついで被告は昭和三七年六月頃以降から、前記(一)(1)の診察室の部分の用途を変更してこれを居間として居住用に使用するようになり、患者の診察は前記(3)の待合室内に衝立を置き、その北隅の一部でこれを行つていること、したがつて現在においては前記(一)(3)の従前待合室として使用されていた部分は、診察室兼待合室として使用されていること、しかしながら、右昭和三七年六月頃以降も前記(一)(2)の薬局(調剤室)及び同(3)の土間の部分の用途は変更されておらず、引続き事業用に使用されているのであつて、現在被告がその事業用に使用している部分は従前に比し若干減少したとはいえ、なお、右薬局(調剤室)一、五〇九坪(別紙第一図面(ツ)(ソ)(ロ)(ハ)(ム)(ラ)(ツ)の各点を順次結んだ線内の部分)、及び診察室兼待合室及び土間約五、九〇二坪(別紙第一図面(リ)(ナ)(ラ)(ム)(ハ)(ニ)(ニ)'(ホ)(ヘ)(ト)(チ)'(チ)(リ)の各点を順次結んだ線内の部分)、だけでも、合計約七、四一一坪となり、前記(一)(4)の廊下①の部分を除いても(これが事業用に使用されているか否かは暫く措く)七坪を超えること、

以上の如き事実が認められ、右認定に反する証人有道睦子の証言はたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

三、尤も当裁判所の検証の結果によれば、右検証当時(昭和三八年三月一日)、被告は前記二の(一)(2)の薬局(調剤室)内の別紙第一図面(ソ)(ム)間にカーテンを設けていたことが認められるところ、被告は従前から右(ソ)(ム)線の北側の部分を薬局(調剤室)として使用しているのであつて、(ソ)(ム)線の南側の部分は薬局(調剤室)として使用していないと主張しているが、原告本人尋問の結果によれば、原告が昭和三五年三月頃右薬局(調剤室)を現実に見たときには、右カーテンは設けられていなかつたこと、したがつて右カーテンはその後右検証当時までの間に設けられたものであることが認められるし、又当裁判所の検証の結果によれば、右薬局(調剤室)の西側に置かれている薬品入れの戸棚は右(ソ)(ム)の線より南側の部分にはみ出しているばかりでなく、別紙第一図面(ツ)(ソ)(ロ)(ハ)(ム)(ラ)(ツ)の各点を順次結んだ線内の部分はもともと一部屋としての構造を有しているのであつて、右(ソ)(ム)間にカーテンを設けたことのみによつて、その北側部分と南側部分との使用方法をさいぜんと区別し得る状態ではないことが認められ、かかる事実に、前記二の冒頭に掲記の各証拠を綜合して考えれば、右別紙第一図面(ツ)(ソ)(ロ)(ハ)(ム)(ラ)(ツ)の各点を順次結んだ線内の部分一、五〇九坪は全部、前記二の(一)(二)に認定した通り、昭和三七年五月以前は勿論その後現在に至るまで、薬局(調剤室)として被告の事業用に使用されていたものと認めるのが相当である。

又当裁判所の検証の結果によれば、右検証当時(昭和三八年三月一日)、前記二の(一)(3)の土間の一部分である別紙第一図面(ウ)'(ヘ)(ト)(チ)'(ウ)'の各点を順次結んだ線内の部分に、炭俵、煉炭、木箱等が置かれていたことが認められるが、右物品の性質やその他原告本人尋問の結果によれば、右各物品は被告が当時便宜一時的に右場所に置いていたに過ぎないことがうかがわれるのであつて、(この点に関する証人有道睦子の証言は信用できない)、被告が右各物品を置いていることのみから、直ちに右(ウ)'(ヘ)(ト)(チ)'(ウ)'の各点を順次結んだ線内の部分が被告の事業用に使用されていないとは認め難く、却つて右検証の結果認められるところの右(ウ)'(ヘ)(ト)(チ)'(ウ)'の各点を順次結んだ線内の部分を含む土間全部の構造及び物品の置かれている位置、状況等を綜合して考えると、右(ウ)'(ヘ)(ト)(チ)'(ウ)'の各点を順次結んだ線内の部分を含む土間の部分は全部、前記二の(一)(二)に認定した通り、昭和三七年五月以前は勿論、その後も現在に至るまで被告の事業用に使用されていたものと認めるのが相当である。

四、なお、被告は前記一の(一)(1)の診察室の南北((ル)(レ)間)は九、六尺、東西((ル)(ソ)間)は一二、七四尺であると主張している外、薬局(調剤室)、待合室等の右各室及び廊下①土間の東西及び南北の距離についても、前記二に認定した距離と異る距離を主張して右各室等の坪数を算出しているところ、証人有道睦子の証言及び当裁判所の検証の結果によれば、右被告主張の距離は、いずれも、主として診察室薬局(調剤室)、待合室、土間等の内側壁の側面又は柱の内側(但し、(ネ)(ナ)間は除く)を基準として測つたものであることが認められる。しかしながら被告がその事業用に使用している右各室等の坪数を算出するに当つては、前記二に認定した通り少くとも右各室、土間、廊下等の隅に設けられた柱の中心点から中心点までの距離を測定し、これを基準として右坪数を算出すべきものであつて、被告の如く右各室等の内側壁の側面又は柱の内側を基準としてその距離を測定し、これを基準として右坪数を算出すべきものではないと解するのを相当とするから、右坪数の算出に関する被告の計算方法は誤りであるといわなければならない。

更に又被告は前記二の(一)(3)の待合室及び土間、同(4)の廊下①の部分(但し、右廊下①の部分は昭和三七年五月頃まで)は、いずれも被告の事業用と居住用とに共用され、又されていたものであり、右待合室及び土間の部分が事業用に使用されている割合は三分の一、同廊下①の部分は二分の一であるから、右部分が事業用に使用されていた坪数は右割合によつて算出すべきであると主張しているが、さきに認定した通り、右待合室(後には診察室兼待合室)が全部事業用に使用されていることは勿論、土間及び廊下①の部分も本件建物の表道路から右待合室に、又待合室から診察室に(但し、廊下①の部分は昭和三七年五月頃まで)それぞれ出入するために当然通らなければならない必要不可欠の通路としてその事業用に使用され、又されていたのであるから、右待合室、土間、及び廊下①の部分が、偶々被告がその居住用に使用している部分(居室等)に出入する通路として利用され、又されていたとしても、右の如き使用状況に鑑み、右部分は当然全部被告の事業用に使用され、又されていたものとしてその坪数を計算すべきであつて、被告主張の如き割合を勘案してその計算をすべきではないと解するのを相当とする。よつてこの点に関する右被告の主張は失当である。

五、よつて本件建物は被告がその事業用と居住用とに併用している併用住宅であつて、かつ被告がその事業用に使用している部分は、本件建物を賃借した後昭和三七年五月頃までは勿論、それ以後も引続き現在に至るまで七坪を超えているものというべきであるから、昭和三六年一一月当時は勿論、その後現在に至るまで、本件建物には地代家賃統制令の適用はないというべく、したがつて右地代家賃統制令の適用があることを前提とする被告の主張はすべて失当であるといわなければならない。

そこで次に、原告が前記賃料増額の意思表示をなした昭和三六年一一月当時の本件建物の客観的な適正賃料額について判断する。

一、≪証拠省略≫を綜合すると次の事実を認めることができる。すなわち、

(一)  本件建物は近鉄布施駅より北西約三分の地点に位置し、布施市本町通りの商店街に近接しており、本件建物附近一帯は各種商店のある商業地域(表通りは商店街)であつて、通行人もかなりあること、そして被告は本件建物において前記のとおり小児科医として医業を営んでいること、

(二)  しかして

(1)  本件建物から一軒置いた北隣の大番(秋山)洋品店の賃借している家屋(木造二階建延約一七坪余り)の賃料は昭和三三年頃から一ヶ月金一万円であること、

(2)  右大番(秋山)洋品店の北隣の林田カサヤ店の賃借している家屋(木造二階建延約一七坪余り)の賃料は、昭和三七年一二月当時一ヶ月金一万四〇〇〇円であり右金一万四〇〇〇円に値上げになる以前は一ヶ月金四五〇〇円であつたこと、

(3)  右附近の服部燃料店の賃借している家屋(木造二階建延約一七坪余り)の賃料は、昭和三七年一二月当時一ヶ月金九〇〇〇円であり、右金九〇〇〇円に値上げになる以前は一ヶ月金五五〇〇円であつたこと、

(4)  右服部燃料店の北隣にある久保ミシン店の賃借している家屋(木造二階建延約一七坪余り)の賃料は、昭和三七年一二月当時一ヶ月金一万〇五〇〇円であり、右金一万〇五〇〇円に値上げになる以前は一ヶ月金六〇〇〇円であつたこと、

(5)  本件建物の表側道路の東側にあるヤチヨスポーツ用品店の賃借している家屋(木造二階建延約二〇坪余り)の賃料は、昭和三六年一二月当時は一ヶ月金五〇〇〇円であつたが、同三七年一月以降からは一ヶ月金八〇〇〇円となつたこと、

(6)  右ヤチヨスポーツ用品店の北隣にある元禄すし店の賃借している家屋(木造二階建延約二五坪)の賃料は、昭和三七年八月当時で一ヶ月金一万円を超えていたこと、

(7)  右元禄すし店の北隣にある祖父江機械店の賃借している家屋(木造二階建約二〇坪余り)の賃料は昭和三七年八月当時で一ヶ月金八〇〇〇円であること、

(8)  右祖父江機械店の北隣にある千徳呉服店の賃借している家屋(木造二階建延約二四坪)の賃料は昭和三七年八月当時一ヶ月金八〇〇〇円以上であり、又その北隣の水野金物店の賃借している家屋(木造二階建約二〇坪)の賃料は、同じく右昭和三七年八月当時一ヶ月金八〇〇〇円であること、

(以上の各家屋の所在位置関係については別紙第二図面参照)

したがつて本件建物附近にある他の多くの借家の最近における賃料は略々一ヶ月金八〇〇〇円以上金一万四〇〇〇円であること、

(三)  又鑑定人佃順太郎は、従前から賃貸借が存在している場合の本件建物の昭和三六年一二月当時における相当賃料額は一ヶ月金二万〇五九三円であると鑑定しており、関西不動産鑑定協会所属の訴外築山武司は、同じく従前から賃貸借が存在している場合における本件建物の昭和三六年当時の相当賃料額は、一ヶ月金一万一〇二七円と評価していること、

以上の如き事実が認められ、右認定に反する成立に争いない乙第一号証の記載内容及び証人有道睦子の証言はたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

二、ところで一方、(1)、右一に認定した事実からすれば、本件建物附近における他の借家の最近における賃料は、一ヶ月金八〇〇〇円乃至一万四〇〇〇円であることが認められるけれども、他方、右の如き金額に値上げされるまでの従前の賃料は、概ね一ヶ月金四五〇〇円乃至六〇〇〇円であつて、原告が前記賃料増額の意思表示をする以前の本件建物の約定賃料一ヶ月金二六三〇円に比し、最低一、七倍以上も高額であつたことが認められるし、(2)又関西不動産鑑定協会所属の訴外築山武司は、前記の通り、昭和三六年当時における本件建物の相当賃料額を一ヶ月金一万一〇二七円と評価しているが、前記冒頭に記載した当事者間に争いない事実及び前掲甲第三号証によれば、右同人は昭和三四年当時における本件建物の相当賃料額を一ヶ月金七〇四一円と評価していること、したがつて右同人の昭和三四年当時における評価自体、すでに当時における原、被告間の本件建物の約定賃料(一ヶ月金二六三〇円)に比し三倍近くも高額であつて、右同人の評価に従えば、昭和三四年から同三六年に至る間の本件建物の相当賃料額の上昇割合は約五割強に過ぎないことが認められ、(3)、更に≪証拠省略≫によれば、本件建物の敷地である布施市足代北二丁目五九番地の一、宅地一〇三坪五合の固定資産税評価額は、昭和三三年度は金一七四万三七〇〇円、昭和三六年度は金二二六万六八〇〇円であつて、その間における右固定資産税評価額の上昇割合は三割弱に過ぎないことが認められる。

三、そして又、本件建物の従前の約定賃料は、前記の通り、昭和三三年一〇月に金二六三〇円に協定されたものであるところ、原告がその主張の如く、その後三年を経過した昭和三六年一一月に至り、本件建物の相当賃料が右従前の約定賃料の四倍以上に当る一ヶ月金一万一〇二七円であるとして、一方的にその増額請求をなし、その結果、一挙に右従前の約定賃料の四倍以上に当る一ヶ月金一万一〇二七円に改定することを許容することは、継続的な賃貸借関係の一方当事者(賃借人)である被告の地位を著しく害するものであつて、通常は右の如き大幅な増額請求を一挙にすることは許されないと解すべきである。

四、しかして、右二及び三に述べた諸点を併せ考えるときは、前記一に認定した事実関係があるからといつて、直ちに原告主張の如く昭和三六年一一月当時における本件建物の客観的な適正賃料が一ヶ月金一万一〇二七円を超えるものであるとは到底認め難く、却つて前記一に認定の事実関係及び右事実関係から明らかな通り原、被告間における本件建物の従前の約定賃料が一般に比し低くなかつたこと、並びに前記二、三に述べたこと等の諸般の事情を綜合すれば右昭和三六年一一月当時における原、被告間の本件建物の客観的な適正賃料は一ヶ月金七〇〇〇円を以て相当と認むべきある。

してみれば、原告のなした本件建物の賃料増額請求は、右一ヶ月金七〇〇〇円の限度で正当であるが、右限度を超える部分は無効というべく、よつて本件建物の賃料は右原告の増額請求の意思表示が被告に到達した昭和三六年一一月二九日以降右一ヶ月金七〇〇〇円になつたものというべきである。

次に被告が原告に対し、昭和三六年一〇月一日分以降の本件建物の賃料として従前の約定賃料を超える一ヶ月金三三〇〇円の割合による金員をその頃弁済のため現実に提供したところ、原告がその受領を拒絶したので、被告は昭和三六年一〇月一日以降同三八年六月三〇日まで本件建物の賃料として引続き一ヶ月金三三〇〇円の割合による金員をその都度弁済供託していることは当事者間に争いない。しかして右被告の供託している金員は昭和三六年一二月一日分以降については、前記の如く本件建物の適正賃料と認められる一ヶ月金七〇〇〇円の割合による金額には満たないけれども、右供託は原告主張の増額請求にかかる賃料額について原、被告間に争が生じ、その訴訟(本件訴訟)中になされたものであることは弁論の全趣旨から明らかであつて、右の如く増額請求にかかる賃料額に争ある場合には通常債務者においてその客観的相当額を認識することは甚だ困難であるから、従前の約定賃料を超える一ヶ月金三三〇〇円の割合によりなされた右弁済供託は、信義則上一部弁済として有効と解するを相当とする。

そうだとすれば、原告が本訴において請求する昭和三六年一〇月一日以降同年一一月三〇日まで一ヶ月金二六三〇円の割合による賃料債権は右弁済供託により全部消滅し、又同年一二月一日以降同三八年六月末日までの分について、前記の如く一ヶ月金七〇〇〇円を超える部分については、原告主張の賃料増額の意思表示は無効であつて、その賃料債権は発生せず、又右一ヶ月金七〇〇〇円の割合による賃料債権は右弁済供託により、一ヶ月金三三〇〇円の割合による限度で消滅したものというべきである。

よつて原告の本訴請求は、本件建物の延滞賃料として、昭和三六年一二月一日以降同三八年六月末日まで、前記一ヶ月金七〇〇〇円から三三〇〇円をさし引いた一ヶ月金三七〇〇円の割合による合計金七万〇三〇〇円の支払を求める限度で正当であるから、右の限度でこれを認容し、その余の部分は失当であるから棄却し、訴訟費用につき民事訴訟法第九二条本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文の通り判決する。

(裁判官 後藤勇)

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